フルートの指のジストニアの話・その1

この記事は、医学的に説明したものではなく、一個人の体験談として記録したものです。この記事を読んで何らかの参考になる方がいるかどうかの可能性は、非常に低いかもしれませんが、もしかしたらジストニアになっても諦めず闘うという想いを持った方で、何か参考になることがあるかもしれませんので、体験を記事にしてみました。

ジストニアは、昔はなかなか病名すらわかりませんでしたが、近年よく聞かれる言葉になって来ました。音楽の演奏に限らず、スポーツや様々な職業で様々な形で現れる事と、確実な治療法がなかなか見つからないという意味で、難病の一つとも言われています。

ジストニアの経験のない時には、ジストニアと言われても実際全くピンと来ませんでした。しかし、ジストニアを体験すると、「これは相当ヤバい」と実感できます。かなり大変です。ある意味覚悟が必要なレベルとなります。

ジストニアの体験談・1995年〜

指のジストニアの発症

1995年夏、3年間のフランス留学を経て帰国。そして数ヶ月後の冬のある一週間に、まとめて練習を詰めないといけない時があり、特定の部分の練習に何故かムキになって練習していると逆に指が重く動かなくなって行きました。

当時は、ウインドウズ95が発売されたりしていましたが、パソコンがまだまだ高額で持っていませんでした。今のようにネットで検索してもなかなかジストニアの情報が見つからない時代だったと思います。

「少し休んでからまた練習してみよう」「まだまだ練習が足りないのかな?」「とりあえず今日は休んで、明日起きたら自然に治っているかも!」「そういえば、手首が痛い気がする、きっと腱鞘炎に違いない」など・・・自問自答を繰り返し、それが魔のルーティーンである事を全く知らずに状況を悪化させて行きました。

年が明け、1996年1月には、右手がかなりひどい状況になりました。リサイタルの準備のはずがそれどころでは無く、簡単な指使いの曲も吹けなくなっていったのです。

これなら吹けるのかな?と吹いてみようとした「赤とんぼ」が吹けなくなった時、ようやく悟りました。何かはわからないけど、「もうダメだ」という事だけわかりました。

リサイタルは中止となり、致命的な何かが始まった今、この先どうするのか?一体どうなるのか?これは治るのか?疑問と不安しかない日々が始まりました。

治療法探し、その1

病院

指の動かない原因が何か?その当時は全くわからなかったので、整形外科に行ってみました。レントゲンを撮っても異常は無く手がかりがないまま、次から次へと噂を聞いては別の病院をめぐる日々を送っていきました。その間、様々な治療を試したのですが、残念ながら、決定的にこれだ!という治療に出会わないまま、2年が過ぎていました。

腱鞘炎とジストニアとの違いの一つは、症状の続く長さです。ジストニアは、ずっと使わず休めていたとしても休むことによっての回復は見込めない可能性が高いです。2年休んでもそのままだったりします。

もう何件目かわからないくらい病院をまわっていましたが、ある病院でのやりとりを機会に病院巡りをストップすることにしました。

残念ですが、整形では治りません。日常生活に問題のない状態の身体を、それ以上に治すというようなところではないからです。

どうすればいいんでしょう?これは治るものですか?

将来、治るかもしれないし、治らないかもしれません。それは今の段階ではわかりません。

そして、別の病院の別の科の紹介状を書いて頂いたのですが、病院に行くのは止めようと思いました。病室を出る間際に、「かわいそうに・・・」と声をかけて頂きました。医師からかわいそうとあらためて聞くと、やはりこの症状が尋常なものではない事がわかりました。

ジストニアの症状も初期で軽いものなのか?かなり重症なのか?人により様々だと思いますが、自分の場合は医師に「かわいそう」と言われるレベルでした。

この指の症状が、肉体的なものか?精神的なものか?という別のアプローチがあるのは、気がついていましたので、薬を試してみるというのも実験(?)していました。いずれにせよこの段階では改善策は見つからないままでした。

当時は、風邪薬すら飲むのが抵抗あるくらい、薬は飲まない派だったのですが、治す為ならと思って処方される通り試したこともありました。しかし、日常生活に何の問題もなく、フルート演奏時の指の動きに不都合がある、という事に対して、薬を飲むという事がどのようにフルート演奏時の指の動きに繋がるのか?が自分の中で疑問として残りました。

※1990年代の話ですので、現在はもっと進化してまた違っていると思います。

治療法探し・その2

東洋医学

次に探したのは、東洋医学でした。鍼、お灸、整体、カイロプラクティックと次々に実際にやってみました。10回ほど通えば治りますと言っていた治療院もあったので、ちょうど10回通ってみたり、鍼治療もいろんなタイプがあって、頭や首に刺したり、手に刺した針に電極を通して電気で指を動かしたり、この東洋医学巡りもやり方は様々でした。

とても親切な整体師さんに出会ったり、とても鋭い事を言う針の名人のような人に出会ったりと、指が治るかどうかとは別に、とてもいい方々で良い経験でした。

これは、もしかしたら指の改善に近いかも、と思ったのが指の電気鍼治療で、その治療法は毎週、2年以上続けてみました。

この時点でも、まだ当時はジストニアという言葉を使う人がほとんどいなかったため、まだ病名すら知らない状況での治療を続けていました。この治療では指ではなく、指を動かす前腕の方の筋肉にアプローチするやり方でしたので、やっていて良かったと思います。

自分の中での改善策探し

メンタル面・まず焦らないこと

ある朝目が覚めると、嘘のように改善していた。ということが起きればいいのですが、そうならないのがジストニアの怖いところです。疲労が原因なら休む事によって改善することもありますが、数年休んでも症状が改善しない事が多いと思います。時が解決してくれると思うことは、逆に危険で、自分で想定した時が来ても治らなかった時に、メンタル面のダメージをより強く受けてしまう可能性があります。

本当は、なる前に予防が大切ですが、何故そうなるのか?という潜む危険を知らずになってしまうものなので、仕方がない事でもあります。なってからは、本腰を入れた長期戦で闘うこととなります。

何度も試したことが、それでも効果が出なかった時に、ここで、無理だと諦めるのか?、それでも闘うと決断するのか?という2つの思いが何度も頭の中に過ぎると思います。もし、闘うと決断したのなら改善までに何年かかろうと、まず「焦らない」事が大切です。

おそらくこのメンタル部分が、一番難しいかも知れません。

あきらめる事も大切・でもそれは、あきらめないために

よくわからない見出しになりましたが、ある戦争で捕虜になった兵士達の中で、楽観的に来年は必ず解放されるだろうと思っていた兵士から先に死んで行った。という事例があるそうです。本来楽観的なら生き残りそうですが、自分が想定した期日に解放されなかった時によりメンタルがやられるみたいです。

長期戦となる事は、本当にしんどい事です。どれくらいしんどいかは、人になかなか理解してもらえないと思いますが、それはそれとして、今ある問題を一度整理する事が大切になって来ます。
一つ問題が発生すると、その問題の為に全てを止めてしまう事がありますが、問題を分離して細分化し、本来問題ではなかった事まで、問題に結びつけてしまわないようにしていく必要があります。

問題と関係なく進められる事を進める
  • 右の指が動かなくても、続けられる事をどんどんやる。
  • 沢山音楽を聴く
  • 指揮に挑戦してみる
  • 左手だけでフルートを吹く(知人に左手だけで吹ける曲を作って頂きました。)
  • 腕のリハビリと経済の両立を兼ねてスーパーでも働き始めました。一度、銀車(牛乳パックを200Kgくらい積んだ運搬用の荷物車)の車輪の幅が違うのに気が付かず、搬入時に足を轢かれて病院に直行しました。労災を初めて経験する事が出来ました。
  • バスフルートを購入し吹いてみる、キーのカップが大きいと動かせるのか?実験を開始
  • 右手の指を動かさず、右親指でフルートを支えずに手そのものを動かしてキーを押さえていく方法を考えるなどなど・・・
短期的に解決できる問題と、長期的に解決すればよい問題に分ける
  • 短期的に解決する問題 数時間や数日で解決 
  • 中期的に解決する問題 数ヶ月後や1年後の解決に持ち込む
  • 長期的に解決する問題 10年後やもっと先(ジストニアの改善はここ)
メンタルの為に、あきらめることを決める

最も長期である人生が終わるまでに、人前でフルートを吹く日はもう来ないかもしれない、

もしそうでも、それでいいと決めました。

世界一孤独にフルートを吹く。

肩の荷を下ろす事も大切です。当時はそこを地獄の5丁目と呼んでいました。フルート界で最も低い所です。その時ふと浮かんだのが、地獄の3丁目、という言葉でしたが、少し映画の題名と被っている感じがしたので、5丁目としてみました。

地獄の5丁目、それでも、フルートを好きであり続けること、それが大切です。 

まとめ

当時の西洋医学、東洋医学、薬の処方等試せるものは、色々試してみました。この時点では決定的な結果は残念ながら得られずで、10年近くが過ぎて行きました。